上田 竹翁(うえだ ちくおう)

上田竹翁

本名は上田寅之助、箸尾寅之助。号は竹軒樂人。
大阪上田家第十三代・上田文斎とやすの三弟。父・上田文斎(幼名は兵司。号は維暁)は漢方医であり、文人として『内国旅行日本名所図絵』全7巻を執筆している。上田文斎は適塾や京都舎密局に学び、和漢蘭学を修めた儒医で、上田家は十三代にわたって大阪で儒医として郷学を指導し医療にあたっていた。幕末には鴻池家と深い関係にあり、複数の藩の藩主お目見えの役職にあったことから、大名貸の取立てを手伝うなどしていた。
長兄・野々村藤助(本名は謙吉)は薬局経営をしており、引退後、朝鮮で料亭「白水」を経営し成功している。
次男・上田貞治郎は上田寫眞機店の経営者で上田家第十四代。
弟・青木恒三郎は明治・大正期大阪を代表する総合出版社「青木嵩山堂」を開業しており、『世界旅行万国名所図絵』『内国旅行日本名所図絵』を刊行。
上田竹翁は大阪船場に育ち、13歳で鴻池家の別家箸尾家を嗣ぎ箸尾寅之助と名乗った。
明治20年、今橋2丁目17番地の鴻池本邸に居住していた頃に日本人が作った最初の本格的な和英辞書『新訳和英辞書』という和英辞書を編纂。
鴻池家の教育として広くのことを学び、その後、高麗橋2丁目で洋雑貨商「竹屋」を営むなど、鴻池家の別家当主としての本業は放擲し、文人・趣味人として生活をする。
明治26年、アコーディオン演奏に関する書物『手風琴独案内』を出版し1万部以上を売り上げた。
明治26年、『漁釣新書 附:魚鼈繁殖孵化及金魚飼育法』『小禽狩猟新書 附:小鳥飼養法(安倍精一郎著)』を編集し青木嵩山堂から刊行。
明治30年、奈良時代から上流社会の婦女子の遊戯、嗜みであった盤双六の定石についての本『新撰雙陸独稽古』を青木嵩山堂から出版。
明治31年、煎茶道に関する小著『煎茶早学』を刊行。
明治36年、次兄上田貞治郎が創業した「上田写真機店」の社員となる。
上田写真機店で出版・編集部門を主に担当し、『写真要報』など写真術に関する多くの書物を出版した。
明治43年、上田編輯部でシュルツ・ヘンケによって考案された写実鉛筆画の技法を写真修正の技術としてわが国に最初に紹介。
大正9年、集大成として、アルファベット順に写真術にまつわるあらゆる項目を網羅・分類し、解説した『冩眞術百科大辞典』を上田写真機店から刊行。
大正10年、次男の箸尾文雄、写真家の不動健治らとともに「藝術冩眞社」を興す。
「コダック研究会」の幹事をもつとめ、さまざまな技術を通信教育によって伝授、普及させた。「日本冩眞学院」の講師もつとめた。
鴻池家の次男で、後に浄瑠璃研究となる鴻池幸武の家庭教師をして英語を教えるなどして余生を送った。
昭和2年、海外での映画技術の発展を受けて『家庭活動写真術』を著わし、家庭活動写真の国内への普及を図った。
兄の貞治郎と同じく、クリスチャンでもあった。昭和16年死去。

生年/出身: 1866

開業年:

開業地、主要拠点: 大阪

師匠: 上田 貞治郞

弟子: