【古写真関連資料】幕末明治の写真師と、スイス人写真家・ロシエ

スイスの写真家ロシエ写真台紙

古川俊平上野彦馬堀江鍬次郎前田玄造等の写真師が関係した。

◆ピエール・ジョセフ・ロシエ
(Pierre Joseph Rossier、1829年-没年不明)
1829年7月16日スイスに生まれる。家は農家で、10人兄弟の上から4番目であったが、他の兄弟とは異なり農夫とはならず、16歳にして教師の職を得た。1855年10月19日発行のパスポートでは職業欄が「写真家」となっている。このときから3年間、フランス、英国に撮影旅行を行い、腕を磨いた。

ロンドンでイタリア系企業ネグレッティ&ザンブラ社(Negretti and Zambra)に特派員として雇われ、アロー戦争の取材・写真撮影のため中国に派遣された。この際の写真は『VIEWS IN CHINA』という名前で1859年11月に出版されている。

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その後、日本に渡航し、暫くの間長崎に滞在。古川俊平上野彦馬堀江鍬次郎前田玄造らに湿式写真を教えた。また父に連れられて来日したばかりの、当時12歳のアレクサンダー・フォン・シーボルトを撮影している。初代駐日英国領事であるラザフォード・オールコックが長崎に到着すると、共に江戸に向かった。1859年(安政6年)6月26日に江戸に到着、日本各地の写真を撮影した後、1860年(元治元年)2月27日、上海に向けて出国した。この間の写真は『VIEWS IN JAPAN』として出版された。その後再び長崎に戻り、上野彦馬により詳しく写真術を伝授した。没年は不明だが、1883年から1898年の間にパリで死亡したと思われる。