
妻は中村あく里。 明治34年、門人に松浦幸陽がいた。明治 36 年、名古屋・中村牧陽の「中村写真館」を継ぐ。次男の海部誠也が跡を継いだ。父は徳川家家令、明倫中学校長を務めた海部昂蔵。海部昂蔵の妻は海部すま。海部昂蔵の妹は丹羽精五郎(愛知県衛生課長 中部電力創設者)の妻。海部誠也の子に元総理大臣の海部俊樹がいる。長男(海部安昌)は東京高等裁判所部長判事次などを勤めた。長女(海部静)は小野恒彰の妻になっており、小野恒彰の長男「小野昇」はセントラルホームズ社長、次男「小野茂勝」は愛知トヨタ自動車副社長になっている。
海部幸之進の父は海部昂蔵(1850年-1927年)といい、尾張徳川家の家職であった。海部昂蔵は弟の海部荘蔵ら兄弟と養鶏業を営み、名古屋コーチンの元となる海部種を開発。弟らに養鶏業を任せ、明治15年から、同家の開墾場が置かれた北海道・八雲村で開拓代表委員となり指導にあたった。1900年から1904年まで私立明倫中学校初代校長。明治36年12月19日から大正3年5月1日まで、尾張徳川家の家令、同年から同家の御相談人を務めた。
生年/出身: 愛知(尾張藩)
開業年:
開業地、主要拠点: 愛知(名古屋)
師匠: 中村 牧陽