【古写真関連資料】名古屋の写真師・中村牧陽、海部幸之進と、第76、77代内閣総理大臣・海部俊樹

写真師海部 幸之進
◆海部 俊樹

日本の政治家。勲等は桐花大綬章。
衆議院議員(16期)、労働政務次官(第1次佐藤第2次改造内閣 – 第2次佐藤内閣)、内閣官房副長官(三木内閣)、自由民主党国会対策委員長(第21代)、文部大臣(第98・107代)、自由民主党総裁(第14代)、内閣総理大臣(第76・77代)、大蔵大臣(第95代)、新進党党首(初代)などを歴任した。

国際天文学連合 (IAU) 会長の海部宣男、2008年にノーベル物理学賞を受賞した小林誠、トヨタ自動車元副社長の小野茂勝の従弟である。1931年(昭和6年)名古屋市で写真館を経営する家の6人兄弟の長男として生まれる。1943年旧制東海中学(現・東海中学校・高等学校)に入学する。旧制愛知一中(現・愛知県立旭丘高等学校)に落ちて挫折を味わった。学校では学徒動員で飛行機の部品作りに携わる。少年航空隊に応募するも、入隊予定の1945年10月を前に終戦となる。旧制中央大学法科の専門部卒業後は河野金昇の秘書になる。新制早稲田大学第二法学部法律学科に編入学。中大在学時は中央大学辞達学会に、早大在学時は早稲田大学雄弁会に所属した。1956年には早稲田大学大学院法学研究科修士課程中退して、学生時代から務めた河野金昇の秘書に専念する。1958年3月29日、河野が急死。同年5月22日に行われた第28回衆議院議員総選挙には妻の河野孝子が後継として立候補し初当選。海部は河野孝子の秘書となった。

中村牧陽
明治 17 年頃、名古屋市中区大須公園入口で中村牧陽写真館を開業。 明治 36 年、門下の海部幸之進(海部俊樹元首相の祖父)が後を継いだ。 中村家と海部家は親戚関係にあった。

海部 幸之進
明治 34 年、門人に松浦幸陽がいた。 明治 36 年、名古屋・中村牧陽の「中村写真館」を継ぐ。次男の海部誠也が跡を継いだ。 海部誠也の子に海部俊樹元総理大臣がいる。長男(海部安昌)は東京高等裁判所部長判事次などを勤めた。長女(海部静)は小野恒彰の妻になった。

海部誠也
父は写真師・海部幸之進。大正 6 年、名古屋商業高校を卒業した後、家業の中村写真館を継ぐ。 大正 11 年、東京写真研究会と愛友写真倶楽部に入会して以来、芸術写真にも手を伸ばす。 昭和 8 年、昭和 11 年まで 4 年連続で東京写真研究会展で銀賞を受賞。 昭和 10 年、国際写真サロンの特待員となる。 昭和 10 年、新光写真研究協会を設立。 名古屋写真師会会長や全日本営業写真研究会理事などを歴任。 昭和 56 年、日本写真協会功労賞を受賞。 政治家・元首相の海部俊樹は息子。新光写真研究協会、全日本写真家協会会員。 兄(海部安昌)は東京高等裁判所部長判事次などを勤めた。妹(海部静)は小野恒彰の妻になった。

松浦幸陽
本名は松浦市郎右衛門。 明治 34 年頃、名古屋の中村写真館(海部幸之進)に入門。 明治 45 年、愛友写真倶楽部に入会。 明治 45 年、東京写真研究会の第三回研展に出品。 大正 7 年、小西六主催修の整原板懸賞競技で 2 等賞。 大正 9 年、愛友展の審査員(以降毎年)。 大正 10 年、「愛友画集第四輯」の編集兼発行を担当。 大正 11 年、愛友写真倶楽部の益子愛太郎、榊原青葉と合資で松浦幸陽写真館を開業。 昭和 3 年、第 18 回研展審査委員。 昭和 4 年、愛友写真倶楽部顧問。

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