
◆林董
旧姓は佐藤、幼名は信五郎、董三郎。 父は下総佐倉藩(現在の千葉県佐倉市)の蘭方医・佐藤泰然、母はたき。末子として生まれる。蘭方医・松本良順( 前田玄造、内田九一等の師)は実兄。 幼少期に佐倉藩の藩校成徳書院(現在の千葉県立佐倉高等学校)で学ぶ。 文久 2 年、姉(つる)の夫で江戸幕府御典医・林洞海の養子となり、林董三郎と改名。 また、両親と横浜に出た。 浜田彦蔵やヘボン婦人らに英語を学ぶ。 慶応 2 年、幕命で英国留学。 慶応 4 年、帰国。義弟の榎本武揚に従って函館で戦い、敗れた。 明治 3 年、釈放される。 明治 4 年、新政府の神奈川県出仕。 明治 4 年、外務省に入り、岩倉遣外使節団に随行。 明治 6 年、帰国して工部省に従事。 その後は外務次官、駐清国公使などを歴任。 この頃、鉱山局所有の八切暗箱カメラで写真術を体得。のち日本写真会第二代会長を務めた。 明治10年(7年とも)、山本讃七郎が書生となり写真術を学んでいる。明治 33 年、駐英公使。 明治 39 年、第一次西園寺内閣に外務大臣。 明治 40 年、伯爵。大勲位瑞星大綬章。 明治 44 年、第二次西園寺内閣の遁信大臣。 大正元年、内閣総辞職で引退。 大正 2 年、葉山で死去。墓所は青山霊園と神奈川県大磯町の妙大寺。

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実父:佐藤泰然
実母:たき
実兄:山村惣三郎・松本良順
義兄:佐藤尚中 – 父の養嗣子
実姉:きわ – 三沢精確(良益)に嫁ぐ
姪婿:緒方惟準・箕作麟祥 – きわ・三沢精確夫妻の娘よしえ・もと姉妹の夫
養父・義兄:林洞海
養母・実姉:つる
義兄弟・甥:林研海・西紳六郎 – 洞海・つる夫妻の実子
義兄弟・姪婿:榎本武揚・赤松則良 – 洞海・つる夫妻の娘たつ・さだ姉妹の夫
従兄弟:山内作左衛門・山内堤雲 – 父の姉妹の息子
妻:操(1858年 – 1942年) – 蒲生重民の娘、山内作左衛門の養女
長女:菊(1874年 – 1968年) – 福澤諭吉の次男・福澤捨次郎に嫁ぐ
長男:雅之助(1877年 – 1958年) – 伯爵位を継承
孫:岩崎忠雄(1909年 – 1990年) – 雅之助の長男、岩崎小弥太の婿養子
義孫:岩崎淑子(1913年 – 1994年) – 岩崎俊弥の次女、岩崎小弥太の姪で養女、忠雄の妻