阪谷 朗廬(さかたに ろうろ)

阪谷 朗廬写真師台紙鶏卵紙

写真師の山本讃七郎は明治元年頃、漢学者、儒学者の阪谷朗廬と山鳴弘斎の三男・山鳴清三郎(または坂田警軒の兄・坂田待園)が大阪で学んだ湿板写真を披露された際、初めて写真を見たという。

漢学者、儒学者。江戸時代末期は教育者として、明治維新後は官吏としても活動。 諱は素であり、阪谷素名義での著作もある。朗廬は号。幼名は素三郎、通

生年/出身: 1822

開業年:

開業地、主要拠点:

師匠:

弟子: