横田 朴斎(よこた ぼくさい)

横田 朴斎写真師台紙鶏卵紙

別名は横田彦兵衛。代々献上品調達を業とする家に生まれる。オランダ人に就いて研究し、幕末期、長崎で上野彦馬から学んだ。『新稿一橋徳川家記』の中に、「 慶応2年8月9日、京都二条堀川東入町横田栄五郎定職人阿部寿八郎(亀谷徳次郎)を写真師として抱え入れた」とある。徳川慶喜が松平春獄、島津久光、伊達宗城、山内容堂を招いて写真を撮影した邸宅の横田栄五郎が、横田朴斎の父と思われる。明治2年、新政府の通商司から金札に貼付する写真の制作を命じられ、紙幣(大坂為替会社発行)に貼付の偽造防止用写真を撮影して儲けたという。明治2年、神戸元町鯉川筋に写場を開く。明治5年(または6年)頃、桑田正三郎に写真術を教えた。のち、事業に失敗して神戸から尾道市に移り住み、同地で撮影を続けた。

生年/出身: 京都(二条大手門前角屋敷)

開業年: 1869

開業地、主要拠点: 京都、大阪、兵庫

師匠: 上野 彦馬

弟子: 桑田 正三郎 中川 信輔 中村 甚之助 三輪 松兵衛