【古写真の調査後売却】建築家・今井兼次

今井 兼次古写真肖像
今井 兼次古写真人物肖像

◆写真師 大川孝
明治18年頃以前から二見朝隈の弟子になっている。明治18年頃、北海道の武林盛一が東京麹町区一番町十一番地に写真館を開業し、そこで写真技師として迎え入れられた。 武林盛一の写真館と連名の台紙がある。 植村惣吉が大川孝の助手として写真撮影も行っていた。 明治23年(1890)、武林盛一は、それまでの写真館のすぐ脇に大川孝夫妻の住まいなども設けた新館を建て増した。
明治23年(1890)、武林盛一は、結婚した大川孝に写真館の営業に関する一切を任せたが、1年も経たないうちに武林写真館を出て独立したいと申し出る。武林盛一は大川孝に独立のための資本を貸し、大川孝は 明治 30 年以降、 神田三崎町を開業。

◆今井 兼次
(いまい けんじ、1895年1月11日 – 1987年5月20日)
日本の建築家。早稲田大学理工学部建築学科卒業。母校の教授を長く務め、建築作品とともに教育者として研究室から優れた建築家、研究者を多数輩出した。東京市赤坂区青山権田原町(現:東京都港区元赤坂2丁目)に生まれる。青山尋常小学校、日本中学校(現・日本学園中学校・高等学校)を経て早稲田大学理工学部建築学科へ入学。1919年、大学卒業と同時に助手に任命され、翌年、助教授に就任。1926年から1927年にかけて東京地下鉄道の駅舎の設計にあたり、ヨーロッパの地下鉄駅を研究するため外遊。ソヴィエトから北欧、ヨーロッパ諸国を回り、バウハウスなどモダニズムの作品のほか、アントニ・ガウディやエストベリ、シュタイナーらの(モダニズムとは異質な)作品に触れた。帰国後、これらの作品を日本に紹介した功績も大きく、ガウディの紹介者として草分けに当たる。1928年の帝国美術学院(現 武蔵野美術大学)設立および1935年の多摩美術学校(現 多摩美術大学)設立にも関わり、多摩美術学校では講師を務めた。 1937年、早稲田大学教授に就任。教え子には池原義郎(建築家・日本芸術院会員、早稲田大学名誉教授)らがいる。

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1948年には妻の死をきっかけにカトリックの洗礼を受け信者となる。

1965年早稲田大学名誉教授。1965年関東学院大学教授。1979年日本芸術院会員。

作品数は多くないが、合理的・機能的なモダニズム建築からは距離を置き、建築に職人の手の技を残す作品を造った。職人に混じって自らタイルを張った、などのエピソードもある。