坂田 待園(さかた たいえん)

坂田 待園写真師台紙鶏卵紙

写真師の山本讃七郎は明治元年頃、漢学者、儒学者の阪谷朗廬と山鳴弘斎の三男・山鳴清三郎(または坂田警軒の兄・坂田待園)が大阪で学んだ湿板写真を披露された際、初めて写真を見たという。

生年/出身: 1835 岡山(川上郡九名村)

開業年:

開業地、主要拠点:

師匠:

弟子: