田井 晨善(たい あきよし)

田井 晨善写真師台紙

弘前藩士。父は弘前藩士・田井隼人。父は明治初年、函館の小林友八から写真術を学んでいたという。 文久元年 9月3日、田井隼人一家が江戸に転居したという記述が残っている。

本名は田井市之丞。弘前藩に命じられ、父の代わりに東京(横浜でも学んだといわれる)で 2 年間修行。当時、下岡蓮杖に学ぶつもりであったが断られ、内田九一の門人となった。明治 4 年、オランダからレンズを購入し、田井写真館を弘前に開業した。明治7年6月、矢川家が長坂町から下白銀町五番屋敷に移った。その時、既に写真師となって開業していた田井晨善の田井家とは1軒挟んで隣の家となる。その頃から矢川れん矢川ミキが学んでいる。田井晨善の妻「田井しう」は、技術的な面でも矢川れん矢川ミキの指導していたという。明治23年、死去。のち二代目(長男と思われる)が継いでいるが、明治 34 年に水戸市に移転し、弘前の写真館は閉店した。次男・田井寿は、神忍の写真館を手伝っていた時期がある。

幕末の弘前藩士に田井友衛(田井晨宴) 、寛政重脩諸家譜に田井友衛(田井正晨)という名が残っているが、いずれも関係性は不詳。明治2年の弘前絵図に開業地(生誕地)の家主が「田井猛重」と記載されているが、これも関係性は不詳。開業地の隣家は青森県最初の東京大学卒業生で法学博士「松野貞一郎」の邸宅であった。

生年/出身: 1845 青森(弘前)

開業年: 1871

開業地、主要拠点: 青森(弘前市下白銀)

師匠: 内田 九一 田井 隼人

弟子: 矢川 れん 矢川 ミキ 神 忍