【古写真の調査後売却】穂積清軒の妻・穂積繁子(鶏卵紙、明治に入り市田左右太により焼き増し)

慶応年間撮影◆三河吉田藩士◆穂積清軒妻繁子◆
三河吉田藩士穂積清軒妻繁子鶏卵紙
慶応年間撮影◆三河吉田藩士◆穂積清軒肖像写真台紙

裏書によると、原板は江戸で慶應年間に撮影され、市田左右太の写真館で明治期に焼き増ししたもの。同時に穂積清軒の写真も入手し調査後に売却。鶏卵紙。

◆写真師・市田左右太(初代)
妻は京都の松井嘉七の妹・きく。慶応元年、内田九一上野幸馬を連れて長崎から舟で、写真撮影しながら旅費を稼ぎ、