【古写真関連資料】多くの写真師が撮影した、明治37年・日露戦争

日露戦争

以下の写真師等が関わっている。
内田 虎二上田 貞治郞鹿島 清兵衛鹿内 徹鹿内 モヨ金田 英雄白崎 民治森 竹十郎柴田 常吉小川 一真小倉 倹司大塚 徳三郎

◆日露戦争

1904年(明治37年)2月8日から1905年(明治38年)9月5日にかけて大日本帝国とロシア帝国との間で行われた戦争である。朝鮮半島と満州の権益をめぐる争いが原因となって引き起こされ、満州南部と遼東半島がおもな戦場となったほか、日本近海でも大規模な艦隊戦が繰り広げられた。最終的に両国はアメリカ合衆国の仲介の下で調印されたポーツマス条約により講和した。

講和条約の中で日本は、朝鮮半島における権益を全面的に承認されたほか、ロシア領であった樺太の南半分を割譲され、またロシアが清国から受領していた大連と旅順の租借権を移譲された。同様に東清鉄道の旅順 – 長春間支線の租借権も譲渡された。なお、賠償金については一切の要求を認められなかった。

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大日本帝国はロシア帝国の南下政策による脅威を防ぎ、朝鮮半島を独占することで、日本帝国の安全保障を堅持することを主目的とした。開戦後に明治天皇の名により公布された『露国ニ対スル宣戦ノ詔勅』でも、大韓帝国の保全が脅かされたことが日本の安全保障上の脅威となったことを戦争動機に挙げている。他方、2月10日の開戦の詔勅に続くはずだったとみられる詔勅草案もあり、ここでは信教の自由を強調し開戦の不幸を強調している。