【古写真関連資料】多くの写真師が関わった、小西屋六兵衛店(コニカ株式会社)

杉浦 六三郎

浅沼商会とは1軒挟んだ隣同士であった。
杉浦 甚太郎は跡継ぎ。
鹿島 清兵衛鈴木 定次秋山 轍輔秋尾 園白崎 民治横井 吉助(二代)柴田 常吉松浦 幸陽春日 定夫小坂 一郎大武 丈夫などが関わった。

◆コニカ株式会社
(英: Konica corporation)
かつて存在した日本のカメラ、写真用フィルムメーカー。2003年のミノルタとの合併により、現在はコニカミノルタとなったが、同社は2006年3月をもってカメラ、フィルム関連事業より撤退している。
杉浦六三郎(のちの6代目杉浦六右衞門)が1873年に、東京麹町で薬種問屋小西屋六兵衛店を立ち上げ、写真関係商品や石版印刷材料の販売を開始したことに始まり、のちに小西六写真工業株式会社へと発展し、1903年に国産初の印画紙を発売。1940年11月3日には国産初のカラーフィルムであるさくら天然色フヰルム(後のサクラカラーリバーサル)を発表。日本の写真用カメラフィルムのトップブランドの1つとして成長した。また東京都新宿区にある新宿中央公園の区民の森は、1902年に、乾板・印画紙の工場である「六桜社」が設けられた場所であり、写真工業発祥の地の記念碑が建てられている。

戦後の国内シェアは、さくらカラー(後:サクラカラー)が富士写真フイルム(現:富士フイルムホールディングス)のフジカラーを圧倒する状態が続いた。しかし、1970年代に入ると圧倒的な広告費を投入して知名度を向上させたフジカラーが逆転、サクラカラーはその後、コニカカラー、コニカミノルタカラーフィルムを経て事業撤退するまでの間、ついに首位の座を奪いかえすことはできなかった。

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1987年に日本以外でのブランド名であるコニカに統一し、社名もコニカ株式会社に変更。フィルムもサクラカラーからコニカカラーに商標を変更した。この際、コーポレートカラーを赤色(朱色)から青色(コニカブルー)に変更している。

コニカミノルタ東京サイト日野(旧:日野事業所)の所在地東京都日野市「さくら町」の名はこの場所で上記のさくら天然色フヰルムを生産していたことにちなんで命名されたもの。

2006年、写真フィルム・レンズ付きフィルム・感材(印画紙・薬品)を含めたDPE分野の事業を大日本印刷(DNP)に譲渡して撤退し、コニカブランドのフィルムは事実上消滅した(その後2009年にDNPも生産を打ち切ったため、完全にフィルム製造およびフィルム販売事業から撤退した)。