【古写真関連資料】多くの写真師が影響を受けた、舎密開宗と化学新書

舎密開宗と化学新書

以下の写真師が京都、大阪の「舎密局」に関係したり、影響を受けた。
明石博高中島 治平丘村 隆桑上田 貞治郞上田 竹翁三崎 栄子三崎 吉兵衛高峰 精一遠藤 虎次郎矢田 太郎桑田 正三郎旗 文次郎小泉 俊太郎堀江 鍬次郎堀 真澄(初代)吉田 好二辻 礼輔

飯沼 慾斎工藤 孝宇田川 興斎宇田川 準一宇田川 忠義などが宇田川家、川本幸民と関わっている。

◆舎密

江戸時代後期の蘭学者の宇田川榕菴がオランダ語で化学を意味する単語 chemie [xeˈmi] を音写して当てた言葉。宇田川榕菴はウィリアム・ヘンリーの『Epitome of chemistry』のオランダ語版を日本語に翻訳し『舎密開宗』の名で世に出した。一方、川本幸民はユリウス・シュテックハルトの『Die Schule der Chemie』のオランダ語版を日本語に翻訳して、中国で使用されていた「化学」の語を用いて『化学新書』という名で世に出した。

舎密の語はその後、江戸時代後期から明治時代初期まで化学とともにどちらかといえば応用化学の分野を指す語として併用されていた。 例えば1869年(明治2年)に大阪に開設された舎密局(旧制第三高等学校の起源)に使用されており、日本化学会の前身である東京化学会では1884年から85年にかけて「舎密」と「化学」のどちらを用いるかで激しい論争が生じたりもした。

しかしその後、原子論や分子論などの理論化学的な分野の知識の受容が進むにつれて、完全に廃れてしまい「化学」の語が定着した。

アマゾン欲しいものリスト

写真師の情報収集やサイト運営につきましては、すべて無償で運営しています。
皆様の「amazonほしい物リスト」による支援を募っています。ご利用する皆様のご理解ご協力をよろしくお願いいたします。

◆舎密開宗
宇田川榕菴により著された日本初の体系的な化学書。内編18巻、外編3巻からなり、1837年から1847年にかけて発行された。タイトルの『舎密』は、オランダ語で化学を意味する Chemie の音訳で、『開宗』は根源への道を開くという意味である。今日の言葉では『化学入門』あるいは『化学概論』に当たる。

ウィリアム・ヘンリーによって著された『Epitome of Chemistry』のオランダ語翻訳を主として、多くのオランダ語の書物を参考にして執筆された。 榕菴は単にヘンリーの原著を翻訳するだけでなく、複数の書物における主張を比較した。 また榕菴は優れた実験家でもあり、実際に自ら実験をして考察を加えることで、総合的な議論を行っている。 これらの事実は『舎密開宗』が単なる翻訳書ではなく、榕菴による独自の考察が多分に含まれた化学書であることを示している。

榕菴は翻訳作業の過程で、それまでに存在しなかった多くの化学用語を生み出した。それらの中には、酸素、水素、窒素、炭素といった元素名や、酸化、還元、溶解、飽和、結晶、分析といった用語が含まれ、今日でも用いられている。

『舎密開宗』は近代化学を初めて日本に移入したとして評価されている。『舎密開宗』を含む杏雨書屋(武田科学振興財団)の宇田川榕菴関連収蔵品は、社団法人日本化学会が認定する化学遺産の『第001号』であり、この書物を編集する際に宇田川榕菴が使用した早稲田大学収蔵品も『第029号』化学遺産に認定されている。物理化学・無機化合物・有機化合物についての内編18巻に加え、鉱泉の分析法を詳説した外編3巻からなる。当時はまだ物理化学や有機化学が十分に体系化されておらず、その内容の多くは無機化合物の性質や反応、分析に割かれていた。また榕菴は各地の鉱泉の定性分析を行った業績でも知られている。

◆化学新書
川本幸民によりドイツのユリウス・シュテックハルトの『Die Schule der Chemie』のオランダ語訳版を原本として翻訳された化学書である。1861年に出版された。

本書で化学という言葉が日本で初めて用いられた。その内容は第1部が無機化学、第2部が有機化学となっており、全部で15巻あった。印刷刊行はされず、幸民が教授職を務めていた蕃書調所において、その写本を教科書として使っていた。明治時代になると、幸民は本書と他の化学書の内容を合わせて『化学通』を出版した。

宇田川榕菴の舎密開宗と並び江戸時代末期の代表的な化学書とされる。舎密開宗と比較すると、原子や分子、化合物、化学反応式といったより最新の概念が紹介されている。

無機化学の巻においては、各元素や化合物についての各論が詳細に記述されていた。それらの中には硫酸や塩酸といった酸や、ナトリウムやカリウムなどの軽金属、マンガンやコバルト、鉛といった重金属など、多くの元素やその化合物が網羅されていた。幸民は各元素に水・炭・窒・酸 (それぞれH・C・N・O) などと漢字の元素記号を当て、分子式を例えばNO2は”窒酸二”のように表現していた。化合物について記述する中で、原子の結合による分子形成の概念が図を用いて説明されていた。ここでドルトンの原子説が初めて日本に移入された。

有機化学の巻では、植物成分は主に水素・炭素・窒素・酸素の4種類の元素からなると説明しており、分子式を用いた異性体の概念の説明も見られた。 更にタンパク質やアセチル、アルデヒド、ラジカルなど最新の有機化学の知見も多数含まれていた。また酒の発酵に関して詳細に記述されていた。この知識を元に幸民は日本初のビールを醸造したのではないかと推定されている。

現在、日本学士院に『化学新書』を含む多数の関連する資料が所蔵されている。これらの資料は2011年に日本化学会によって化学遺産として認定された。